ふぐ供養祭

京都府ふぐ組合

京都は東山、慈悲ぶかい眼差しで私達を遍照される優しく美しい、大きな観音像が床しい霊山観音に、我が組合の先達たちが安置した「ふぐ塚」があります。毎年、桜花爛漫の四月初旬その塚の前に、京都府下はもとより全国から「ふぐ」に縁ある人々が集い、盛大に「ふぐ供養祭」がとりおこなわれます。わたしたちはこの供養祭をたゆまず営み、今年で五十四回を迎えました。「ふぐ食」の始源は、貝塚からふぐの骨が発見された縄文時代にまで遡ることが裏付けられています。爾来悠久の時を、幾多の中毒事故をふまえながらも止むことなく今日に至るのですが、それはまさに命懸けの「ふぐ美食文化」伝承であったと言えるでしょう。それにしても、ふぐ以外に食用に適した美味かつ安全な魚は沢山あったでしょうに、死亡事故の危険を承知しながらも止められなかった「ふぐ食」の魅力とはなんだったのでしょうか。もっとも、ふぐのおいしさをご存じの方々には想像に難くないと思われますが。では、縄文以来われわれの祖先はいかにして「ふぐ」を処理し、賞味してきたのでしょう。その処理、調理方法は、江戸時代におこなわれた人体実験の記録にもみられるように、長い年月をかけて培った経験則を頼りにしたものと思われます。○ふぐの種類に依る有毒部位の差異。 同じ種類のふぐでも、漁獲される地域で異なる毒力の強弱。 季節による毒力の変化。等々、ある時ある浜で水揚げされたフグは無毒であったのに、ほんの少しの季節の違いや水揚げ場所の違いで死亡事故が起きる。同時期であっても、同じ場所であっても、11尾、各々個体別に無毒のものがあったり猛毒のものがあったり。当れば一発で即死、しかし外れれば思う存分、美味なるフグのすべてを楽しむことができる。ふぐの別称がテッポウ{鉄砲}とは、言い得て妙だったのです .
鉄砲のタマに当るのは運が悪いだけ。ロシアンルーレットのようなハラハラドキドキで自ら射倖心を煽って美食を楽しんだ時代も長かったようです。おそらく当時の処理、調理技術では、とても安全は確立できていなかったのでしょう。フグ毒に科学的な取り組みが始まったのは明治になってからのことです。そしてフグ毒、テトロドトキシンの分子式が明かになったのは昭和三十九年。なんと、わずか四十四年前のことですから、驚かれる方も多いと思われます。ふぐ毒の分子式解明がなった昭和三十年代、ふぐ中毒による死者は、記録に残るだけでも全国で毎年100人を突破していました。とりわけ昭和三十二年には130人を越える中毒死者が記録されています。公的な記録でこの数字ですから、記録されていないものも含めると、中毒事故件数ならびに中毒死者の実数はどれほどのものだったのでしょう。ふぐ食が盛んだった江戸時代の中毒死者は、きっと恐ろしいくらいの数字にのぼると思われます。武士たるもの、フグを食するにおよばず、と厳しく取り締まっていた藩もありました。そういった歴史の中で、今をさる五十九年の昔(昭和24年)、テトロドトキシンの分子式発表に先立つこと十五年、京都府ふぐ組合は誕生しました.
志を同じくする先達たちは、事故無く安全にふぐを食するための、的確な科学的知識を土台にした処理技術の啓蒙に乗り出したのです。またその一環として、京都府ふぐ条例の制定(昭和25年)にも尽力しました。先達たちのあつい思いは今に継がれ、今日もわが組合は、その啓蒙と指導に取り組んでおります.ふぐ中毒、中毒死は、大海に生息するかれらふぐに問題があるのではなく、食するわれわれ人間の無知、傲慢から生ずるものであります。大宇宙に光り輝き浮遊する青き水の惑星。ここに共生する魂ある生き物を食せねば生命を維持することが出来ない私達人間。ましてこの生命を次世代に繋げるためには、数限りない命をいただかねばならないのです。ふぐにのみならず、生命や魂のなんたるかを思い到達する死生観。そこから翻って各々の祖先にまで思いをいたすとき、その心は「ふぐ供養祭」に繋がりました。供養祭当日、本堂で物故者法要がいとなまれ、つづいて「ふぐ供養祭」がはじまります。観音様のお膝元にたたずむ「ふぐ塚」の前で、読経の中、集い合掌する人々の思いは、感謝や慰霊また安寧にとどまらず、共にこの時、この場に集った「ふぐ」に縁を有する者同士の連帯感にまで及びますやがて焼香のあと、人々は心ばかりの会食をつうじてさらなる交流を深め、共にこれからもつつがなく生業をつづけ、来年もまた感謝の場を共有できますようにと観音様に祈念し三々五々帰路につくのです。近年、全国的規模で、食の安全、信頼がゆらいでおります。その発端となりしに、われわれを包括する外食産業が関わっていることにいたく心を痛めております。昨今の工業製品化した食品に使用される食材たち。忘れてならないことは、その食材たちにも命が、魂が存在していたということなのですあるは巷間を歩きながら、また道ばたに腰をおろしながら、まるでガソリンスタンドで給油するように無機的な食事をする若者達。その手には工業製品としか認知されていない命のカケラが所在なく握られています。命をいただくには其れ相応の作法が必要でしょうに。皆様には、「ふぐ供養祭」の目的と、一連の食の安全、安心を揺るがす事件との関連を俄にご理解いただけないとは存じますが、この供養祭を通して昨今見落としがちな「食」本来のなんたるかを、その根幹を再考していただければ幸甚です。以上、「ふぐ供養」につきましてわが組合なりの説明をさせていただきました

平成20年3月吉日

京都府ふぐ組合広報担当 大倉洋彰